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失われた抗生物質に望みをつなぐナノチューブ |
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---ここ十数年の抗生物質と耐性菌の闘いはまるで不釣合いなトランプゲームのようでした。私たちのカードは限られているのに、細菌には「自然淘汰による進化」というジョーカーのようなカードがあるのです。けれど、今回新しく開発された抗生物質は、そのトランプゲームをよりフェアにするものとして期待されています。--- |
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この記事では 不釣合いなトランプゲーム 失われた抗生物質 リングが合体してチューブへ - ペプチド抗生物質への期待 フェアなトランプゲームに という内容で構成しています。 |
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不釣合いなトランプゲーム
実際、この10数年間の抗生物質の開発というものは、実に過酷なものでした。例えば、新しい抗生物質をつくったさきから、その耐性菌の存在が実験室で判明し、あとは、いつその耐性菌が一般に医療の場で広まるかということを待つだけといった状況でした。開発者でさえ、今つくっている抗生物質がいずれ効かなくなるということを前提にしているような状況でした。 たしかに、これまで利用してきた抗生物質が無力になってしまった理由には、いくつかの理由があります。与えられた抗生物質を乱用したり、誤用したりすることは日常茶飯事でした。家畜のえさなどに抗生物質を大量に混ぜたり、必要以上に洗剤や抗菌グッズなどに抗生物質を混ぜたりしました。こうして耐性菌の登場に都合のよい環境を与えてきたわけです。しかも、最近になるまで、この問題が指摘されることはほとんどなかったのです。 ただ、一日に何千回も細胞分裂するような細菌することを考えれば、いずれは耐性菌が登場してくることは目に見えたことでしょう。これだけを批難してもしかたありません。 せめて、このトランプゲームのバカバカしい状態から、少しでもよい方向に持っていけないでしょうか?必勝法などというものがないにしても、せめて細菌と少しでも対等なレベルで闘うことは出来ないでしょうか?細菌の顔色をもっと丁寧にうかがい次の手を予測し、上手に出し抜く方法はないでしょうか? 最近の抗生物質の開発は、こういった発想で行われています。今回紹介する新しいタイプの抗生物質もこういった発想から登場してきました。そこで今回は、抗生物質の仕組みなどとあわせて、新しい抗生物質がどういったものなのかをのぞいてみることにしましょう。 失われた抗生物質 従来の抗生物質は、ほとんどが自然から得られたものです。ペニシリン、バンコマイシンといったものもそうです。生物のなかでつくられる抗生物質も自然淘汰のなかで生まれてきたもので、私たちはそれを切り抜いて利用してきました。 どうやって抗生物質が細菌を死に追いやるかということについては、いくつかの方法がありますが、主には細菌の細胞壁を攻撃するというものです。細胞壁の特定の分子一つを抗生物質が狙って、細胞壁がうまく機能しないようにする働きをもっているのです。細胞壁が弱まると、細菌は内圧に耐えられなくなって破裂して死んでしまいます。ちなみにバンコマイシンなどの抗生物質がヒトには無害であるのは、ヒトの細胞にこの細胞壁がないという違いのためです。 しかし、そういった抗生物質の攻撃に対して、細菌の方も出し抜かれたままではありませんでした。私たちの裏をかいて実に巧妙に進化を遂げてきたのです。例えば、院内感染などで何かと耳にすることの多い、バンコマイシン耐性黄色ブドウ球菌というものがあります。この耐性菌と抗生物質との闘いは、不釣りあいなトランプゲームの代表例と言えるでしょう。
細菌の細胞壁には、糖鎖が多く存在していて、そこにアミノ酸が5つ鎖状に繋がった短いタンパク質、正確にはペプチドがくっついています。あるペプチド鎖の5番目のアミノ酸が、別の糖鎖のペプチドの3番目のアミノ酸と結合しあって、かぎ編みのように糖鎖を束ねて丈夫にしています。こうして細胞壁の強度を保っています。 ここでバンコマイシンは、このペプチド鎖の内側から5番目のアミノ酸を覆ってしまい、結果としてペプチドどうしの結合がなくなって、かぎ編み状の構造をゆるくしなり、細胞壁の強度を弱くするのです。こうして細菌を死へ追いやるのです。(言葉ではイメージが湧かない方は右図: ) こうして細菌をうまく出し抜いたはずのバンコマイシンでしたが、細菌は実に巧妙な進化をしました。バンコマイシンは、ペプチド鎖の5番目のアミノ酸だけを狙って攻撃します。そこで、細菌はその5番目のアミノ酸の構造の一原子を変えたのです。そのため、バンコマイシンはそのアミノ酸にうまくくっつくことが出来なくなり役に立たなくなったのです。バンコマイシンが1つの分子しか狙わないという性質を利用して、わずかに原子を変えただけで私たちを出し抜いたのです。細菌のこのトリックは実に巧妙といえます。 しかし細菌にとってみれば、一日の数千回にも及ぶ細胞分裂のなかで、たまたま突然変異によって一原子が間違ってできてしまっただけに過ぎないのです。このようなところにも、自然淘汰というジョーカーのようなカードを持った細菌の恐ろしさをうかがうことが出来ます。 改良したバンコマシインと細菌との闘いはこのあとも何度も続きました。人がさまざまな方法で、もとの性質が失われない程度に、バンコマイシンをいじくりまわして、細菌を出し抜きます。けれどやはり、細菌はジョーカーを使って、そんな私たちの裏をかくのです。 こんなわけで、改良バンコマイシンもすぐに耐性菌の登場でだめになってしまいます。そうこうしているうちにも、バンコマイシン耐性黄色ブドウ球菌などの脅威は増していきます。テレビや新聞でもよく目にするようになってきました。 こう切羽詰った状況では、医療現場としては、仮に新しい抗生物質が数年でだめになってしまうとしても、とにかく新しい抗生物質の登場を望むかもしれません。けれど、抗生物質の研究開発に携わる関係者は、この不釣合いなトランプゲームに少しでも変化をもたらそうと必死になっています。 例えば、細菌が耐性を持つことが難しいような、自然のものとはまったく異なった抗生物質の開発や、少しでも耐性菌の登場を抑えるために特定の細菌だけを対象にした抗生物質の開発などがそうです。今回紹介する新しい抗生物質もまさにこの発想から登場しているのです。 リングが合体してチューブへ - ペプチド抗生物質への期待 今回新しく開発された抗生物質は、今までのものと比べてずいぶんとユニークなものです。ドーナツ型をした分子が細菌の細胞の表面にくっついて積み重なってチューブ状になり、そして細胞の中へとはいっていき細胞に穴をあけてしまうのです。この自己組織化する抗生物質は、従来の抗生物質が効かなくなった細菌にも有効だということが分かっています。この抗生物質のようにチューブ状の分子が生物学的に応用されたのは初めてで、今後抗生物質の開発の新しい風穴になると考えれています。 (新しい抗生物質のイメージ ) http://www.nature.com/nature/journal/v412/n6845/fig_tab/412392a0_F1.html この抗生物質を構成する分子は、ある特殊なペプチドです。実は生物からとれる自然のペプチドに抗生物質と同じように細菌を殺すはたらきがあることは以前から知られていました。ところが、アミノ酸が鎖状になってできているペプチドは分子のサイズが大きくて移動性に欠き、患部に直接注射しなければいけないため、これまでほとんど実用化されてきませんでした。また、サイズの大きさゆえ、複雑な化学結合が生じて、どのような仕組みで働いているかもハッキリせずに、安全性にも問題がありました。そのため、使われていたのは軟膏や口内リンス程度といった体の表面が患部になっているものだけでした。 しかし、今回の抗生物質は試験管の中でも生物の体内でも有効にはたらくことが示されました。現在、社会問題となっている黄色ブドウ球菌に感染しているマウスに、この抗生物質を1週間与えたところ、その間マウスはたいした副作用もなく、すべて生存していました。ところが抗生物質の投与を止めたところ、わずか2日ですべてのマウスが死に絶えてしまったのです。 そもそもペプチドのほとんどには親水部分と疎水部分があります。また、疎水性の部分がプラスの電荷をもっていることが多いのですが、この性質のために、細菌のマイナスに帯電した細胞表面へと引かれていきます。今回の抗生物質の場合、はじめはアミノ酸が6−8つ繋がったドーナツ状のかたちをしているのですが、その疎水部分が脂質からなる細胞膜にくっついていきます。そして、多くのドーナツ状分子が集まってきたところで、お互いに水素結合などによって、チューブ状になります。そして細胞表面に穴をあけるのです。このような「持ち運び組み立て」的な構造が、従来のペプチド抗生物質の移動性の問題を解決しているのです。 http://www.nature.com/nature/journal/v412/n6845/fig_tab/412392a0_F1.html この抗生物質が従来のものより優れている点は、耐性菌が登場するのが難しいことにあります。従来の抗生物質は特定の分子一つだけを攻撃するため、細菌の側としてもわずかに進化するだけで十分耐性をもつことができます。逆に、今回の抗生物質に対しては、細胞膜の多くの分子構造を変える必要があり、そういった変種が登場する確率は非常に低くなります。もっとも、今までも細菌の進化を過小評価してきたための失敗も多くあるので、今回の場合も油断はできないのは確かですが。 また、従来の抗生物質は分子サイズが小さかったため、あまり大きく改造すると細菌を殺す能力を失ってしまいます。そのため、改良するときは、わずかに分子を置換したり、付加したりするだけでした。ところが、今回の抗生物質はドーナツ型分子を構成するアミノ酸の配列を変えたり交換したりしても、チューブ状になるため、抗生物質としてのはたらきを失うことはありません。このように、最初から抗生物質の改良の選択肢の幅が大きいことは、単一の抗生物質だけを使いつづける傾向にある現状にとっては大きな前進といえるでしょう。つまり、細菌にあわせた独自の抗生物質をつくることも可能になります。それに、このように分子のもつ性質をうまく利用して、分子の挙動をかなり恣意的にコントロールしているところにも大いに興味が湧きます。 まだ、このペプチドリングの抗生物質は解明されていない部分も多いのですが、十分研究する価値のある分野だといえるでしょう。うまく利用すれば、ジョーカーな細菌をそれなりにうまく出し抜くことができるでしょう。 フェアなトランプゲームに 広い意味では、このペプチドリングの抗生物質も、トランプゲームの切り札をいくつか増やしたという程度のものにすぎないのかもしれませんが、やはり抗生物質の寿命を長くできるものとしては大いに評価できるのでしょう。 実際、今の抗生物質を開発するおもな流れは、すべての細菌に効いて、いつまでたっても耐性菌が登場しない奇跡の抗生物質をつくろうとしているのではなくて、それぞれの狭い対象に合わせた抗生物質をつくろうというところにあるようです。 少し話がずれますが、最近の遺伝子学の進歩により、ゲノム創薬というものに注目が集まっています。これは抗生物質の開発においても当てはまることです。例えば、細菌のDNAを調べ上げて、重要なはたらきをするタンパク質をみつけ、それだけを狙う抗生物質を開発したりします。 要するに、今までの広域対象な抗生物質から、特定の細菌もしくは狭い範囲の細菌だけを狙う抗生物質を開発しているのです。結果として、細菌の自然淘汰による進化のチャンスを減らすことができるのです。今回のペプチドリングの抗生物質も共通する点があるといえるでしょう。 こうすることで、少しでも不釣合いなトランプゲームで、私たちと細菌の間の差を埋めていこうというのです。おそらくは終わることのないこのトランプゲームに、少しでも私たちが有利に闘えるように、今も多くの新しい抗生物質が開発されているのです。 そんな視点から見た今回の新しい抗生物質には、多いに期待が高まるところです。 |
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関連記事 この記事を書くのに参考にしたサイトをいくつか載せておきました。 ・耐性黄色ブドウ球菌 新生児室から排除ムリ - 読売新聞コラム この記事に書いてある通り、確かにこの耐性菌を完全に排除する必勝法を無理に探すことは危険を伴います。 ・Scientists at The Scripps Research Institute Build a New Class of Nanotube "Smart Drugs" - Scripps Research Institute(英語) 今回のナノチューブ抗生物質を開発した研究所のプレスリリース。 ・New Peptides Pack More Punch - Science Now(英語) ナノチューブ抗生物質のイメージはこんな感じです。 ・Antibacterial peptide from H. pylori - Nature(英語) 今回の関連論文。 ・ゲノム創薬で抗生物質を設計する - 日経サイエンス 本文の最後で少しだけ触れたゲノム創薬による抗生物質開発のことが詳しくかかれています。もちろん本誌の話ですが。英語でよければ、サイエンティフィック・アメリカンで全文読めます↓。 ・Behind Enemy Line - Scientific American(英語) |
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