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生命の左利きの謎



---食卓に置かれた味の素を眺めること、地球上の生命がどこからやってきたかという疑問がわく。つながりが全然ないように見える味の素と生命の起源ですが、実はこの二つにはある共通した謎があります。いったい、この二つにはどのようなつながりがあるのでしょうか。---



この記事では
   アミノ酸の謎
   右利きと左利きの物質の発見
   生体と身近な右利き左利きの謎
   生命の左利きの謎
     という内容で構成しています。
 


アミノ酸の謎

 食卓に置かれた味の素を眺めること、地球上の生命がどこからやってきたかという疑問がわく。まったくつながりのないように見える、味の素と生命の起源ですが、実はこの二つにはある共通した謎がありました。いったい、この二つにはどのようなつながりがあるのでしょう。

 そのために、まず私たちの体をつくる重要な要素である、アミノ酸にまつわる謎から話を始めることにしましょう。

 地球上の生命体の重要な要素となっているタンパク質ですが、それはアミノ酸からできています。そのアミノ酸には、ちょうど私たちの右手と左手の関係のように、右利きと左利きのものが存在しています。その二種類のアミノ酸は形も大きさも同じなのですが、手と同じで、同じ向きで重ね合わすことはできません。ちょうど、自分と鏡に映った自分のような関係になっているわけです。そのため、この二種類の分子のペアは、鏡像異性体などとよばれることがあります。区別ができるとは言っても、形そのものは同じであるため、沸点や、どれだけ水に溶けるかといった化学的な性質は、ほとんど同じものになってしまいます。

 それゆえ、アミノ酸を人工的に作ろうとすると、右利きのものと左利きのものとが、同じ量だけ出来上がってしまいます。どちらのアミノ酸ができるかというのは、まさにコインを投げたときの表裏の確立と同じだというわけです。


 また、私たちの体の中でも、いろいろな酵素などがはたらき、複雑な化学反応が起こっています。では、私たちの体中のアミノ酸の存在の割合はどのようになっているでしょうか?先ほどのように、右利きと左利きのものは、同じ割合で存在しているのでしょうか?

 実は、私たちの体の中では、奇妙なことが起こっているのです。なぜか、私たちの体の中では、ほぼすべてのアミノ酸が一方だけから出来上がっているのです。しかも、右か左かのどちらか一方というわけではなく、地球上の生命のほとんどが、左利きのアミノ酸だけからできあがっているというのです。


 一般的に考えれば、同じ性質をもった二種類のアミノ酸ならば、同じ割合で存在する方が明らかに「自然」に思えるのでしょう。ところが実際は、地球上の生命体を構成するアミノ酸は、必ずといっていいほど左利きのものばかりなのです。まるで何者かが意図的にそうしているのではないかと思わせるほど異様なまでに、私たちの体の中のアミノ酸は偏って存在しているのです。

 さらに面白いことに、生命体の重要なもう一つの要素である糖の場合も、生命体の中で同じように偏って存在しているのです。ところが、こちらはアミノ酸のように左利きのものではなくて、右利きのものばかりなのです。


 私たちの体の中のアミノ酸や糖が、右利きのものと左利きのもののどちらができるのかを決めるのに、投げたコインの結果を支配しているのが何なのか、はやく知りたい気持ちはわかりますが、もう少し、アミノ酸を詳しく見てみましょう。




右利きと左利きの物質の発見

 先ほど、左利きのアミノ酸も右利きのアミノ酸も、化学的な違いはほとんどないといいましたが、では、どこに二つの違いはあるというのでしょうか。


 それは、偏光性といういう、光に関係した性質です。アミノ酸などの結晶や液体に特殊な光(直線偏光、polarlized light)を通したときに、その光の面が回転する性質のことです。例えば、右利きのものは光を右に回転させるのに対し、左利きのものは同じ角度だけ光を左に回転させます。このように、光に関して、二つの分子には違いが見られるので、このペアを光学異性体ということもあります。


 そもそも、このような偏光性に気づくことで、分子によっては右利きと左利きの二つの関係があると発見されたのです。この発見をしたのは、19世紀に活躍したパスツールという微生物学者でした。パスツールはワインを造るときに行われるブドウの発酵の過程で出来上がる酒石酸という結晶に注目していました。パスツールがこの結晶の偏光性を調べているときに、これが右利きのものと左利きの二つのものに分けれることに気がついたのです。


 このように、右利きと左利きの物質を人工的に分けるには、化学的な処理を施すのではなく、光学的な性質を利用してやる必要があります。こう聞くと、なにやらむずかしそうに聞こえますが、私たちの体にとって、この右利きと左利きの違いというのは、実は意外にも、身近な形であらわれてくるのです。



生体と身近な右利き左利きの謎

 たとえば、私たちの鼻は、この右利きと左利きの物質の区別ができるのです。鼻の粘膜は分子の立体的な構造を区別することができるので、鼻の粘膜に立体的な分子がくっつくと、その形に合わせて、それぞれのにおいを判断する仕組みになっているのです。しかも、鼻の粘膜自体の分子自体が右利き左利きといったように分かれているため、その二つの分子を区別することができるのです。ちょうど、私たちが暗がりで靴を見ることができなくても、足にはめてみれば、靴が右のものか左のものか分かるのと同じような感じといえるでしょう。

 まあ、ごちゃごちゃ言わずに、具体的な例を挙げてみましょう。例えば、カルボンは片方がミントの香りで、もう片方はキャラウェイの香りといった感じです。そしてリモネンは、レモンとオレンジといった感じです。ハーブやアロマの世界では、このように右利きと左利きの性質が深く関わっていたりします。


 この右利き左利きの関係の区別ができるのは、鼻だけではありません。私たちにとっては、味にも、この右利き左利きの違いが出てきます。

 例えば、調味料の味の素ですが、その成分表示を見てもらうと、L-グルタミン酸がおもな成分だということが分かります。ここで問題となるのは、"L"という文字です。これは、"levorotatory"の頭文字をとっているのですが、これは左利きのグルタミン酸だということを示しています。もちろん、右利きのD-グルタミン酸(dextrorotatory)も存在しているのですが、なぜか、これは苦いだけでうまみを感じないのです。

 逆に、生体に対する右利き左利きの性質の違いを利用した例もあります。先ほど話しましたが、生物の中で、糖はほとんどの場合右利きで存在しています。もちろん糖には左利きのものも存在しているのですが、これは人工的に作らなくてはいけません。一応、右利きのものも左利きのものも、私たちは甘く感じることができるのですが、左利きの糖は私たちの体に吸収されずに無視されてしまうのです。これを利用して、人口甘味料として、ジュースなどに使われているわけです。

 もっとも、味の素や人口甘味料なら、体への影響はそれほど大したことはないのですが、製薬においてはかなり大きな影響が出てきます。そのため、製薬では、この右利き左利きが基本的な要素の一つとなっています。




生命の左利きの謎

 このように、右利き左利きの性質の違いは、生体にどれほど違った影響を与えてくるかという身近な例を通して、いくらでも挙げることができます。

 ところが、これを化学的な性質だけで説明しようとすると、どうにもうまくいかないのです。どうして、体の中では糖やアミノ酸が、これほどまで偏って存在しているのでしょうか?いよいよ、投げたコインの結果を支配するものが何かということについてのぞいてみましょう。


 化学的な性質だけでは説明できない、この奇妙な事実に対し、さまざまな分野の専門家が、実に多様な仮説を打ち立てています。すべて話すことなどできないくらい数が多いのですが、その中でも有力で面白そうなものをいくつか見てみましょう。


 一つ目は太陽の光が大きくかかわっているという説です。

 地球は、多くの化学物質が複雑に混ざり合ったガスのような状態から始まり、これが徐々に固まっていき今のような形になったと考えられています。ところが、まだガスだったころには、右利きと左利きのアミノ酸が同じ割合で含まれていたのですが、地球を形成するときに、大きく影響を与えたものがありました。

 それは太陽の光です。地球が形成されるとき、太陽の光によって引き起こされる化学反応が、どれほど重要だったかということは簡単に想像できるでしょう。このとき太陽の極性をもった光によって、左利きの方が選択されてしまったというのです。


 この説は、右利き左利きの謎が、地球が出来上がるときに、太陽系のなかで生じたという説です。しかし、地球が出来上がった後に、太陽系の外から、原因がやってきたと考える、もっとスケールの大きな説もあります。


 太陽系のはるか遠くからやってきた隕石がこの謎に関わっているという説です。左利きのアミノ酸は隕石にのって地球にやってきたというのです。これに関しては、ある隕石には、左利きのアミノ酸だけが、わずかに偏って存在していたという報告などがあります。こうして、左利きのアミノ酸をのせた隕石が地球に衝突したときに、この左利きのアミノ酸をもたらし、左利きの生命の種をまいたというわけです。[1]

 隕石について、よく生命の痕跡があったという報告がされますが、それほどではないにせよ、隕石に左利きのアミノ酸が偏って存在していたという報告もされてきていたのです。


 すると次に、この左利きのアミノ酸のふるさとは、宇宙のどこなのだろうという疑問がわいてきます。これについては、太陽系からはるか遠くにある分子雲からやってきたのではないかという説が有力です。この分子雲は星の寿命が尽きた後の残りくずのようなものなのですが、ここに私たちの右利き左利きの謎が隠されているのではないかというのです。その信頼性を高める報告として、オリオンOMC-1にある星で偏光性が確認されたと言われています。つまり、ここでは一方に偏った分子が存在しているというわけです。[2]

 他にも、はじめに隕石にのっていたときは両方とも存在していたのに、旅の途中で右利きのアミノ酸が分解されてしまったという説もあります。宇宙空間に存在している磁場と光が相互に作用し合って、右利きの方だけに光が吸収されやすくなってしまったからです。もし光を多く吸収すると、それだけ分解しやすくなるわけで、こうして、右利きのアミノ酸だけが分解してしまい、左利きのものだけが残ったというのです。もちろん、この逆も起こりうるのですが、偶然私たちの地球にたどり着いたアミノ酸は、左利きのものばかりが残っていたというのです。[3]



 そして、初期の地球に左利きのアミノ酸だけが多くもたらされたとしても、今に至るまで、生体の中で左利きのアミノ酸が独占的に存在し続けてきたのはなぜかという疑問もわきますよね。これについても、いくつかの仮説があります。

 例えば、最近になって報告されたのは、方解石に注目したものでした。なぜ、方解石かというと、地球に広く存在しているうえに、生物と非常に密接に関わってきた鉱石でもあるからです。例えば、貝殻などの成分にも含まれています。この鉱石には、面白い性質が見つかったというのです。その性質とは、両方のアミノ酸を溶かした液体にこの結晶をひたすと、それぞれのアミノ酸は、右利き左利きに分かれて方解石の別の面に吸着するというものです。[4]

 もちろん、これでは、なぜ今地球上の生命には右利きのアミノ酸が存在しないのかということを説明することはできませんが、少なくとも、なぜ左利きのアミノ酸が左のものばかりでまとまって存在しているのかという謎に、いくらかの説明をすることができるわけです。このような性質は他の鉱石には見られなく、方解石に特有なものだと考えられています。


 とにかく、量子的な世界に始まり、鉱石、光、そして宇宙と実に幅広い分野の知識を活用して、地球の生命の起源から私たちの周りの身近な謎までを、多くの専門家が説明しようと試みているのです。もっとも、今の時点では、この生命の右利き左利きをめぐる大きな謎について、決定的なことは分かっていません。


 いずれにしても、食卓の上にある味の素の不思議が、ひょっとすると生命の起源、そして宇宙へとつながっていくかもしれないのです。右利き左利きの謎を解くことが、生命の起源の謎を解くことにつながるのかもしれません。そう考えると、味の素ひとつの見方さえも変わってきますよね。




               

 なぜか、専門用語が多くて他の言葉に置き換えにくいこの分野。かってに、右利き左利きなどと表現しましたが(一応、英語はright-handed,left-handedと統一されているよう)、左旋性や左巻き、左型などといろいろあります。他にも、専門用語の使用を避けました。あいまいなところがあるのは、無理に専門用語を置き換えたためということで、ご勘弁を(^^;

 また、光が電磁場の性質を持っているということを説明しないと、本当は完全に理解できないのですが、かなり難しいので、省きました。興味のある方は関連サイトのページを参考にしてください。



関連サイト
 今回は雑学的なことが多く含まれていたので、それに関するサイトをいくつか挙げておきます。今回のコラムの内容に直接関係するのは、下の関連ニュース記事なのですが、全部英語になってしまいました(- -;。

生活環境化学の部屋
  光学異性体について
  化学系の学生の中ではかなり有名なホームページです。光学異性体について詳しく知りたい方はどうぞ。

味の素のホームページ
 ・なぜ?なに?アミノ酸
 ・アミノサイエンスのページ
  これはちょっとばかり専門的なページ。

リファレンスガイド 光・直線偏光など - NewReport社
 簡単にですが、光のいろいろな性質がかかれています。


ミネラル ギャラリー(英語)
 すごいすごい。鉱石について何でも分かる。写真もついてるし。これだけ詳しくかかれてれば、アカデミックな利用にも十分間に合います。興味のある鉱石を見つけて、写真を眺めてみると面白いかも。
 ・方解石のページ


関連ニュース記事(英語)
本文の仮説の中で気になったものがあったら参考にするといいと思います。

[1][2]Ex astra: Life from the Stars - Astorbiology.com

[3] A handle on handedness - nature science update


[4]Rocks May Have Given a Hand to Life - Science News Online

 ・Chirality - NewScientist
  他とは異質な仮説。

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