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ジャガイモから作ったクモの絹 - 遺伝子組換えの可能性 |
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---絹といえば、繊細でしとやかなイメージがついてまわりますが、それとは裏腹に、いずれ絹が防弾チョッキやパラシュートのストラップなど丈夫な繊維としても使われることになるかもしれません。しかも、絹の繊維に必要なのが、畑で栽培したジャガイモから採れるものだとしたら…。とってつけたような話ですが、5年後にはこのことを当たり前になっているのかもしれないのです。--- |
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この記事では 自然繊維のカムバック 生物のつくる鉄 自然を真似るということの意味 バクテリア、ヤギ、そしてジャガイモ 遺伝子組換え技術を再検討 という内容で構成しています。 |
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自然繊維のカムバック 絹といえば、高価でセクシーな下着など繊細でしとやかなイメージがついてまわります。しかしそんなイメージとは裏腹に、いずれ絹が防弾チョッキやパラシュートのストラップなど丈夫な繊維としても使われることになるかもしれません。さらには自動車のボディや、そこらじゅうにあるプラスチックにとって変わる可能性も考えられます。しかも、絹の繊維に必要なのが、畑で栽培したジャガイモから採れるものだとしたら…。 とってつけたような話ですが、5年後にはこのことが当たり前になっているのかもしれないのです。 20世紀の初めのころは、絹というのは市場でも大きな位置をしめていました。しかし、戦後まもなく、絹そっくりの人工繊維であるナイロンが登場してからというもの、すっかり絹の市場におけるインパクトは小さくなってしまいました。というのも、ナイロンのほうがはるかに価格がやすく、現在取引されている量もくらべものにならないほど多いからです。 さらに、ケブラーなどの丈夫な人工繊維が登場くるにつれ、ますます絹などの自然の繊維は影が薄くなっていきました。今では絹の使われているのは、高価な下着など非常に限られた範囲になってしまっています。そうなってしまった理由は、言うまでもなく、絹の価格と大量に生産できないという問題にあるわけです。 しかし21世紀になって、絹というものが、ジャガイモと遺伝子組換え技術を引っさげ、再びカムバックを果たそうとしているのです。しかも、ただ安くて丈夫なだけでなく、人口繊維などと比べればはるかに自然にやさしいという性質を兼ね備えています。 今回は、絹のあまり知られていない可能性と、絹のその可能性を十分に引き出すのに一役買うことになるだろう遺伝子組換え技術について探ってみることにしましょう。 生物のつくる鉄 ただし、今回話の中心となる絹とは、カイコのつくる絹ではなくて、クモのつくる絹のことです。 確かに、クモの糸からできるものを一般には絹と言ったりしないかもしれませんが、実はクモのつくる絹はカイコのつくる絹と比べても化学的な性質は非常に似ているのです。クモの絹は、遜色がないばかりか、強度や弾力性の面ではカイコの絹よりも優れているのです。質量あたりの強度は鉄よりも強いといわれています。そのため、このクモの絹は俗に「バイオスチール(BioSteel)」と言われているくらいです。 もっともこのことは、生物学的な背景を考えれば、想像するのも難しくありませんよね。クモの糸の場合、他の虫を捕まえるクモの巣と、自分が移動したりするのに利用する糸の二種類があります。もしこれを罠や救命ロープだと表現するならば、カイコの繭は所詮、寝心地の良いゆりかごに過ぎません。絹と一言にいっても、使われ方がまったく違うわけです。そして目的に応じて強度なども変わってくるわけです。 進化を考えてみても、クモの糸がどれほど巧みに作られているかということが分かります。なにもここで長々と自然淘汰の話をするつもりはありません。ただ、自然淘汰というものは、環境に適応していくことが重要になるわけですが、これは必然的にクモが効率よく糸を作り上げることを強制するととらえることもできます。クモの進化の歴史の中心には、いかに効率よくクモ糸をつくるかという試行錯誤があったと見ることもできるはずです。そうやって、クモは4億年余りものあいだ進化し続けてきたわけです。 その結果、クモが糸をつくるプロセスの効率や精度は、今まで私たちの考え出してきた工業プロセスでは再現することもできないほど優れたものになりました。例えば絹に似ている人工繊維のナイロンと比較してみることでもよく分かります。 まずクモの場合、絹の材料となる糸をつくるのに必要なのは、室温と大気圧に近い穏やかなと環境と、溶媒としての水だけです。あとは体内で作られたタンパク質で、クモはこのような工芸品をつくってしまうのです。 しかし、ナイロンなどの人工繊維の場合は、そんなに簡単で素朴ではありません。まずは非常に高温高圧の環境が必要になります。そのために当然大がかりなプラントが必要になります。そして、ときには自然に有害な触媒が必要になったり、危険な副生成物を生じる可能性もあります。また、ナイロン自体も自然に分解されるものではありませんので、そのまま自然に有害なものとして残ります。 このように、いくら出来上がったナイロンの性質が絹に似ているとはいっても、それを作り出す過程はずいぶんと違うことが分かるでしょう。エネルギー的な効率もクモの方がはるかに優れていますし、何よりあの大がかりなプラントにかわるものを小さな体の中に秘めているのです。 確かに、今までの人工繊維というものは、自然にあるすばらしい繊維を人工的に大量生産し、安価に供給するということを目指して、自然を手本にして真似てきたといえるでしょう。しかし、それはあくまで最終的な生産物を自然のものに似せるだけで、製造過程は自然とはまったく違ったものを採用してきました。 このように「自然をまねる」ということが、科学技術の進歩に大きな役割を果たしてきたことは言うまでもないのですが、このことを少し落ち着いて考えてみると、面白いことが分かってきます。 自然を真似るということの意味 言うまでもなく、歴史的にも人間は自然の仕組みを詳しく調べ、自然のさまざまな特徴を人工的な造形物に置き換えてきました。何もナイロンなどの人工繊維に限った話ではなく、空の鳥を見て飛行機を作ってみたり、また植物が光を自分の使えるエネルギーに変えているということに刺激されて太陽電池をつくってみたりしてきたわけです。 ただし、ここで注意しなくてはいけないことがあります。 自然の世界では、大きな特徴として、「最小のインプットで最大のアウトプットを得る」というものがあります。これは長い進化の過程で少しずつ積み上げられてきたわけですが、この特徴が人工的に再現されることはほとんどありませんでした。自然は、生成の際のエネルギー効率の面では、今までの人間の技術ではとうてい再現できないほど優れていました。先ほどのクモ糸の例もまさにそのとおりです。 そこで最近は、そういう今まで見過ごされてきたことにも注目して、自然を真似しようという考えが高まっています。それは、バイオミメティクスといわれる分野なのですが、あまり聞いたことがない方が多いように、まだ学問としては非常に小さな分野です。しかし、市場におけるインパクトは年々大きくなっています。 では、バイオミメティクスと言うのはいったいどういう学問なのでしょう?一言にバイオミメティクスと言っても、さまざまなことを取り扱っているので一概にこういうものだということはできません。しかし、今回のクモの糸に限って言えば次のようなことがいえます。 クモ糸が作られるのを真似する際に、どのようにクモが紡績腺から繊維を押し出しているのかといった生物学的な考察に付け加えて、その繊維の成分を分子レベルで観察するという分子生物学的な考察も重要になります。特に、分子の観察については、タンパク質の自己組織化などの性質などと、ごく最近になって可能になってきたものです。また、これら同時に、クモの遺伝子を調べることも重要視されています。 このようにして、これまで人間が自然を真似てきたナイロンなどの例と比べて、ずいぶんと根の深いところから自然を真似ていこうとしているのです。最終的な産物だけを真似るのではなく、途中の素晴らしい過程も自然から真似ようというのです。 バイオミメティクスという言葉は覚えなくてもいいとしても、最近は今までになようなスケールで自然を学ぼうとしているという流れがあることには大いに注目するべきでしょう。本格的に、このようなことが可能になったのも、分子レベルでの観察や制御が可能になった最近のことだといえます。 バクテリア、ヤギ、そしてジャガイモ これほど優れているクモ糸がほとんど利用されてこなかったのは、なかなかその繊維を集めるのが容易なことではなかったからです。仮に、肉食であるクモを飼って、糸を作らせることで供給していたら、カイコの場合の数千倍以上のコストがかかるでしょう。しかし、長い間技術者も科学者もこのクモ糸の性質に注目し、何とか大量に手に入れる方法はないかと考えていました。 例えば、アメリカの有名な繊維会社(何でもやっている会社ですが・・・)であるドュポン(Du Pont)などは、以前からこのクモの巣の大量生産を考え、さまざまな研究をしていました。 絹のおもな成分はタンパク質なので、クモの遺伝子情報を調べれば絹がどのような成分を含んでいるかを知ることができます。そうすることによって、クモ糸のタンパク質の構成要素を突き止めたのですが、これを人工的な化学合成によって生産しようとすると、あまりに複雑すぎるため、コストも多くかかりすぎてしまいます。 そこで発想をかえて、自然に存在している他の有機体に、その材料となるタンパク質などを大量につくらせるという方法を考えました。そして、ここで遺伝子組み換え技術が登場してくるのです。 最近の有望な例として、次のようなものがあります。ドイツの研究チームは、クモ(Nephila clavipesという種)の絹に関する遺伝子を調べ、それをいくつかの植物に組み込みました。そして、特にジャガイモからは、全体のタンパク質量の2パーセント程度に相当する目的のタンパク質を得ることができたのです。 もっとも、このように遺伝仕組み換え技術を使ってクモ絹の繊維を得ようとした試みは、今回の例が初めてではありません。これまでにも、クモの遺伝子をバクテリアなどに組み込む実験が行われていました。しかし、そのためにはバクテリアに高価な肥料を使わなくてはならず、コストの面では有効な手段ではありませんでした。 ほかにも、大きく騒がれたものに、クモの遺伝子をヤギのDNAの中に組み込んだ例もあります。ヤギが選ばれたのは、クモの紡績腺とヤギの乳腺の生物的な性質が似ているからです。ちなみに、このヤギは「鉄を生むヤギ(BioSteel Goats)」と騒がれ、一部の業界だけではなく、新聞などでも大きく取り上げられました。 この結果、大人のヤギの乳のタンパク質の中には、クモのつくるタンパク質が含まれていました。ただし、この場合も、1リットルの乳に対して、わずか5グラムのタンパク質という、非常に限られたものでした。ちなみに、一日にヤギから得られる乳の量は、1.5リットル程度なので、まだまだ大量生産には程遠いというわけです。 もちろんジャガイモを使った方法が最も優れているといっても、今の時点ではすぐに大量生産に結びつく段階まではきていませんが、すくなくともバクテリアやヤギと比べれば、コストを半分から10分の1にまで下げられるとされています。さらに、遺伝子組換えによってタンパク質を作らせたとき、動物よりも植物のほうが、目的のタンパク質だけを抽出しやすいと考えられています。いずれにせよ、技術面、コスト面などの問題は、本格的に研究開発されるようになればじきに解決されるでしょう。 遺伝子組換え技術を再検討 さて、問題となるのは、技術として遺伝子組換えを使っているということです。ジャガイモと遺伝子組換えなどといったら、今、日本でも大騒ぎになっている話題ですが、今まで話してきたように、この技術の場合は、渦中のそれとは随分違うことがわかるでしょうか。 遺伝子組換え技術の安全性について、主に問題になっているものは、食品としての安全性です。つまり、遺伝子組換え食品に、明らかな危険要素はないが、安全性も保障されているわけではないので口に入れることはできないということが、まさに議論の焦点になっているわけです。 ただ、このクモ絹のジャガイモの場合は、まず口に入れるわけではないという点で、今問題になっているスナック用の遺伝子組換えジャガイモとは随分事情が異なります。 また不確定要素についても事情が異なります。遺伝子組換えによってその生物にどのような影響を与えるかということははっきりと分かっていないので、確かにジャガイモに何らかの危険な要素が含まれているかもしれません。しかし、実際使用するのは、ジャガイモから得られる特定のタンパク質だけなので、正体もはっきりとしており、予想できない危険というものはありえません。 そして、残った他のジャガイモの部分ですが、これは人工繊維をつくるときに生じる分解されない副生成物とは違い、あくまで自然のものなので、すべて自然に分解されます。 今ざっと挙げたことも、突き詰めれば、いくらかの不確定要素が含まれていることは否定できませんが、ナイロン等の人工繊維をつくる工業プロセスと比べれば、はるかに自然にやさしい生産方法といえるでしょう。 実際のところ、タンパク質の自己組織化などの仕組みが明らかにされれば、遺伝子組換えなどという遠回りな技術を利用しなくても、いずれ低コストで安全に、直接クモ絹のタンパク質が作れるようになるでしょう。その点では遺伝子組換え技術は、かなり異端的な手段という気がしないでもありません。 しかし、この遺伝子組換え技術を使った方法も、目的のタンパク質をつくるという過程においては、エネルギー的に「最小のインプットで最大のアウトプット」という自然界の発想を十分に反映しています。(もちろんそれに付随して必要な人間の労働力などのエネルギーは別の問題ですが・・・。)そして、自然に分解でき、リサイクルも可能です。 その点では、しばし言葉ばかりが一人歩きをして、実体がまったく見えてこない「循環型社会」というものを実現する一つの手段になりうるのかもしれません。
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