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移住と風習とYとmt


---Y染色体やミトコンドリアのDNAが受け継がれるとき、男女の性が重要になります。そのため他の遺伝子では分からない面白いことが分かることがあります。例えば、民族によって男女の結婚の風習などはずいぶん違うわけですが、こういった文化の違いがY染色体やミトコンドリアのDNAにも違いとして刻み込まれているのです。少し言い方を変えると結婚の風習がDNAの配列を決めるということにもなります。---


この記事では
 DNAに刻み込まれた風習のしるし
 「男らしさ」のありかはガラクタ置き場と金鉱の裏表
 mtDNAとY染色体のDNAは似たものどうし?
 移住、文化、風習 - ヒトの歴史のページ
     という内容で構成しています。
 
DNAに刻み込まれた風習のしるし

 ヒトのDNAには、それまでの進化の歴史が刻み込まれているというのはよく聞く話ですが、一方では、その持主が暮らしていた文化や風習、移住といったものが刻み込まれていることがあります。とくに、結婚にまつわる風習というものが、ヒトのDNAの多様性に大きな影響力を持っているのです。

 タイの北部の山岳地帯で、お互いに隔離されながら、農耕によって生計を立てている、いくつかの部族のDNAを調べた結果、そのようなことがわかってきました。

 結婚の風習が刻み込まれているDNAというのは、性別に特有なDNA、つまりY染色体とミトコンドリアのDNA(mtDNA)のことです。男性にしか存在しないY染色体と、母方のものしか遺伝しないミトコンドリアDNAは、ともに男女それぞれの進化の歴史を探るのに適していると考えられてきました。

 一般には、長い進化の歴史のなかで、DNAはゆっくりと変化していくと考えられていますが、今回の報告を考えると、私たちが思っている以上に、文化や風習といったものがDNAを変化させていっているのかもしれません。

 そこで今回は、Y染色体やミトコンドリアDNAのはたらきを知るとともに、タイの山岳地帯に住むいくつかの部族のDNAから何が読み取れるのかということを探ってみましょう。




「男らしさ」のありかはガラクタ置き場と金鉱の裏表

 Y染色体は、機能的な遺伝子などをほとんど含まず、まるでガラクタ置き場のようなのですが、このニュースが流れたときは、全人類の少なくとも半数はさぞかし肩身の狭い思いをしたことでしょう。(ひょっとすると、残りの半数はヤッパリそうかと思ったかもしれませんが・・・。)


 - 全体図を開く -
Y染色体やミトコンドリアDNAはどのように子孫に受け継がれるのでしょうか?
 Y染色体は、男性だけに存在している、性別を左右する重要な染色体なのですが、そのDNAの9割以上はほとんど何の機能ももたず、同じ配列の繰り返しと突然変異のジャンクDNAばかりなのです。

 卵子と精子が交わったときに、Y染色体はそのパートナーであるX染色体と遺伝子をほとんど交換しません。そうすることで雄性を決める重要な役割を果たしているのですが、一方では、長い進化の中で突然変異などをためこんで、新しくなることがなく、今のようなガラクタ置きになってしまったのだと考えられています。

 しかし女性の場合、今でもX染色体はそのパートナーのX染色体とDNAの交換をします。そのため、X染色体はY染色体のようにみじめな状態になることはありませんでした。

 いったい全体、「男らしさ」の遺伝子はどこヘ行ってしまったかと(全人類の少なくとも半数が)嘆きたくなるところですが、実は、こんなY染色体も、見方次第で金鉱にもなるのです。いったい、Y染色体に何が埋まっているというのでしょう?


 Y染色体は、男性の系統をたどっていくのに非常に都合がよいのです。一般的に、他の普通の染色体は、パートナーの染色体とDNAを混ぜてしまうので、遺伝子が誰から受け継がれたかが非常に分かりにくくなります。しかし、Y染色体は、男の子供が父親からまるごと受け継ぐことになるわけです。

 そのため、受け継がれたY染色体は、その父親の子孫に男の子供が生まれてくる限りは受け継がれるというわけです。また、受け継がれていく途中で、突然変異などさまざまな理由で、Y染色体のDNAに変化が生じるかもしれませんが、逆にそれが系統を沿って過去にさかのぼるときに、「時間の備忘録」として役立ちます。

 これをうまく利用したのが、例えば、つい先日のアフリカ起源説の補強証拠です。ヒトの起源、とくにアジア人の起源は、アフリカからなのか、それとも別のさまざまな場所で同時にはじまったのかどうかと、大きな議論になっていました。

 遺伝子学者の場合はほとんどがアフリカ起源説に傾いているのですが、それでも多地域進化説の方も、ちょくちょくと有力な証拠を発表していて一歩も譲ろうとはしませんでした。そんなわけで、この論争の最近の様子は、ボクシングの試合でも見ているようで面白いものでした。しかし、どうやら先日のアフリカ起源説側の発表で、多地域進化説側はK.O.寸前にまで追いやるほどだったようです。

 アフリカ起源説に関わる報告をした研究チームは、アジアとオセアニアのさまざまな地域の163民族1万2人以上の男性を対象にし、このY染色体を調べました。すると、3万5千年から8万9千年の間にアフリカの祖先に生じたと考えられている突然変異が、このY染色体に含まれていることが分かったのです。つまり、Y染色体の変異を「時間の備忘録」として利用することで、アジアやオセアニアの男性が、アフリカの祖先からY染色体を受け継いでいるらしいことを示したわけです。

 このように、機能としてはガラクタ置き場のY染色体も、系統の歴史を探る上では、まさに金鉱と呼べるわけです。
 


mtDNAとY染色体のDNAは似たものどうし?

 さて、女性の方に特有のDNAといえばミトコンドリアDNAです。ミトコンドリアは細胞内で、核のDNAとは別に独自のDNAを持っています。このmtDNAは男女ともに持っているのですが、子供に受け継ぐことが出来るのは、卵子を提供する母方の方だけなのです。

 こちらもY染色体のように、母親から受け継いだmtDNAは、その子孫に女の子が生まれる限りは受け継がれていきます。このようにY染色体の父系遺伝に対し、mtDNAの母系遺伝といったように、2つの性質は似ているところがあります。

 ただし、世界中のY染色体のDNAとmtDNAの種類の分布を比較するとずいぶんと違った結果になるのです。

 ミトコンドリアDNAの場合、ある人のものを選び、世界中の誰か別の人ものと比べても、とても似通った配列になっています。

 ところが、Y染色体のDNAの場合、選んだ地域ごとにずいぶんと違っているのです。そして、その地域内のY染色体どうしは非常に似通っているのです。これはいったいどういうことでしょうか?

 その答えの一つとして、今回のテーマ、結婚の風習があります。やっと話は本題に移ります。



移住、文化、風習 - ヒトの歴史のページ

 タイ北部に住む民族を対象とした今回の調査は、Y染色体とmtDNAの多様性の違いについて調べたものでした。対象となった民族は、それぞれ山々に隔てられて生活している6つの部族で、気候などは似ており、すべての部族が農耕を中心として生計を立てています。しかし、そのうち3つの部族は、結婚した後に妻が夫のもとへ移る「夫方居住」であるのに対し、残りの3つの部族はその逆の「妻方居住」でした。この6つの部族の男女のY染色体とmtDNAの多様性の違いを調べたのです。

 結果は、夫方居住の社会では、その部族内の男性のY染色体はみな似ているのに対して、mtDNAの方は部族内でもさまざまなタイプがありました。これはどう説明できるでしょうか?

 男性の場合、他の部族の違ったタイプのY染色体が入ってくることはありません。そのため、部族内のY染色体は同じ種類のものだけになっていきます。しかし女性の場合、外の部族からやってきて新しいタイプのDNAをもたらすことで、mtDNAの種類により多様性を増すことになるのです。こうして女性たちが自分たちのDNAをさまざまな部族に幅広く広げる結果となったのです。そして妻方居住の社会では、結果はキレイにこれの正反対となりました。


 このことから、なぜ世界全体で、ミトコンドリアDNAの種類は幅広い範囲で共通しているのに対し、Y染色体の種類はそれぞれの土地に特有なのかということが説明できます。世界全体では、およそ3分の2が夫方居住の社会だからです。

 結婚の風習がY染色体やmtDNAのパターンに関係しているという考え方は以前にもあったのですが、具体的な証拠がありませんでした。つまり、男性の死亡率が高いということや一夫多妻制などでも、今のような分布になりうるため、それほど自明なことではありません。

 しかし、今回のタイの6部族のDNA調査は、規模の小さいながらも、結婚の風習がY染色体やmtDNAの種類の分布に関係してくることを十分に説明しているわけです。

 
 ヒトが狩猟採集から農耕へうつったときに、世界中の多くの地域で男性が土地を守るために、その場所に縛られるようになりました。こういった歴史の変化も、確実にDNAに刻まれているというわけです。

 だとすれば、現代のように、モノと同じようにヒトの動きが流動的になった今の社会の様子も、それなりのかたちでDNAに刻み込まれていくことになるのかもしれません。


 また、今回の報告は、遺伝病の新薬開発にも教訓をもたらします。今、世界中のあちこちの離島などを舞台にして、遺伝病にかかわる遺伝子の採集競争が加熱しています。

 離島などでは、外部とDNAの交わりが絶たれているため、島中の住人の遺伝子が非常に似通っており、遺伝子病を突き止めやすいのです。そのため、先進国の製薬会社や研究機関が特許などでもうけようと、DNA採集に躍起になっているのです。

 今回の報告を活かすなら、とくに性別に関係する遺伝子を探るときは、結婚の風習や移住の歴史なども考慮する必要があるはずです。

 DNAはよく「生命の書("book of life")」と呼ばれることがあります。しかし、その膨大なページのなかでも、とくに風習や移住なども含めた「ヒトの歴史のページ」というものが、このYとmtに書きこまれているのです。


            
関連コラム
以前の「気になる科学ニュース調査」から関係のありそうなものをいくつか挙げています。

クローン、遺伝子組み換えベビー等の失敗の共通点は?
今回の話とはちょっとズレますが、この記事でも、クローンや遺伝子組み換えベビーなどを通して、男女の性が重要に関わってきます。

ゲノムウォーズ
とにかくDNAに関していろんなことが改めてハッキリしたのは、この記事で扱かわれた今年の2月。実は今回のコラムも、このときの発見で示唆されていた内容なんです。

関連サイト
Y染色体とミトコンドリアDNAについて詳しく書かれてある日本語ページを紹介しておきます。

Y染色体の不思議な進化を探る - 日経サイエンス
 Y染色体はガラクタ置き場と金鉱の裏表・・・。いや、ジャンクDNAも機能がわかっていないだけで、重要な役割を持っているのかもしれませんが。

染色体とは? - the designer of lives, Genome
 基礎からいろいろなことが書かれてあります。

ミトコンドリアDNA - 福岡大学理科学部化学科

アフリカ起源説を補強する新証拠で、窮地に陥った多地域進化説 - 河合信和のコラム
 内容はタイトルに書かれているとおりですね、まさに。

関連ニュース
コラムを書くときに参考にした記事をいくつか紹介します。英語が中心ですが、詳しい内容はこちらの方でどうぞ。
Matchmaking marks genes(英語) - nature science update

Human mtDNA and Y-chromosome variation is correlated with matrilocal versus patrilocal residence(英語) - nature genome
 今回のタイ北部で行われたDNA調査についての報告論文。抜粋。

Y Chromosome Study Suggests Asians, Too, Came from Africa(英語) - Scietific American
 アフリカ起源説とY染色体について。この報告はもともと科学誌サイエンスに発表されたものでした。


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